'75をめぐる冒険④ やり残した仕事 – デザイナー幸山義昭

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『今はまだ人生を語らず』は二枚組アルバムになる予定だったという。

吉田拓郎がCBSソニー時代に発表したアルバムはすべて写真:田村仁、アルバムデザイン:幸山義昭とクレジットされている。

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1973年の『元気です。』、1973年の『伽草子』のスタジオ録音の二作品はともに写真家田村仁の撮影した一枚物の写真が用意され、表がカラー、内側が単色というシンプルで重厚な構成になっている。

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『今はまだ人生を語らず』もそのスタイルを踏襲し、見開き体裁とする方向で順調にディレクションが進んでいた。ところが版下が完成して印刷所へ回す段になり、Wジャケットではなく一枚物のアルバムに変更になるかもしれないと制作サイドから急遽、待ったが掛かったのだ。

二枚か一枚か、デザイナー幸山義昭にとっても極めて難しい判断が求められる局面であった。レコード発売までのプロセスを考えるならば、遅くともレコードプレスが終了するまでにはジャケットや帯などの印刷物はすべて完成させておく必要があるからだ。

もし20数曲が納められた二枚組アルバムとして『今はまだ人生を語らず』が世に出ていたら、折り畳まれて封入されたポスターのカットは見開きジャケットの内側に使用される予定だったのかもしれない。

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そうしてタムジンとデザイナー幸山義昭のコンビによる組屏風のような三部作が完成するはずであったのだ。

(厳論)
再考『今はまだ人生を語らず』① 陣山さんのイス

『今はまだ人生を語らず』は二枚組になる予定だったという。

CBSソニー制作サイドが二枚組アルバムとして想定していたのは1枚目は新曲、2枚目は前年度に発売された『LIVE’73』のアウトテイクであった。

1973年11月の中野サンプラザでのライブ収録では最大限の人材と機材を投入してそもそも2枚組ライブアルバムとして発売する予定であった。それが諸般の事情により急遽、1枚でリリースしたため残りの音源はお蔵入りになり、レコード大賞受賞曲「襟裳岬」のライブバージョンも含まれていた。

一方で、プロデューサーの肩書きを持つ拓郎も決断を迫られていた。井上陽水のミリオンセラー『氷の世界』へ対抗するにはオリジナルの新曲で勝負するしかないだろう、ライブ音源のアウトテイクには岡本おさみの作詞が多いし、脱・岡本おさみを目指した今回の作品群と競合することになる。

しかしアウトテイクとなった「ルームライト」、「蛍の河」、「私」、「地下鉄に乗って」の4曲以外の候補曲は、1974年に提供した「明日の前に」:堺正章、「赤い灯台」:小柳ルミ子、「歩け歩け」:かまやつひろし、「私の足音」:猫、「クジラのスーさん空をゆく」:シュリークス。1973年10月発売「君のために」:山本コウタローあたりであるが、いずれも大ヒットには及ばず、すでに提供曲としては「戻ってきた恋人」猫、「おはよう」桜井亜美、「襟裳岬」森進一の3曲が確定しているのでこれ以上増やすわけにもいかないだろう。

2枚組という「器ありき」に固執しすぎて、両者平行線のまま時間だけが過ぎていった。

結局どちらも痛みを伴う苦渋の決断を誰がいつしたのかは一切、明らかにされていないし、発売予定が少し遅れたことしか当時の音楽雑誌にも触れられていない。

両者にらみ合う中で怖くて誰も言い出せなかったのだ「それなら無理しないで一枚でいいんじゃないですか?」と。

『今はまだ人生を語らず』発売後、年が明けてしばらくするとユイ音工事務所の陣山さんのイスが何故だか、肘掛け付きの革張りタイプにグレードアップされたという・・・。

おまけ
 蛍の河(人生を語らず テイクアウト)~Takuro:017

Many Thanks  kazumi311104    ・・でもテイクアウトじゃお持ち帰りになっちゃうよ
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